押し付けしない見守り

腐った穴につまずいたりハマって怪我を避けなくてはいけません 脳力を活かす
代々この橋を通る家族を思いやって作られ、補修されてきた橋ですが、経年劣化が進んでいます

【引退世代のための支援法】

家族が畑に行きやすいように。そんな思いで作られたであろう自宅と川向こうの畑を結ぶ橋は祖父の手作りです。時は過ぎ橋に空いた穴に、畑へと向かう父の杖がはまって転倒しないように補修しました(お見苦しくてすいません)。でも、この話はそんな美談では終わらないのです。ある日私の補修した板が取り払われていました。

取り払ったのは父でした。でも結果として、取り払った父の正解でした。橋の枕木の一つが腐って下に落ちてしまったのです。取り払ったのはストックとして工具箱の下の架台(実は橋のスペア枕木として用意されていたもの)をはめ込むため取り除いた、というのが理由でした。私が考えていた以上に父には考えがあったのです。

月並みではありますが、お互いを尊重することが大切です。とにかく、何事もなくて良かったです。

会話の中で両親がやりきれない農作業を知る

徐々に離れた田畑まで足を運ぶのがつらくなりに作物を植えるのを辞め、防草シートをかけたのも父です。ある程度次の世代への道すじを作ってくれたものとして、こちらも今では感謝しています。

畑一枚を覆う防草シート
家から遠いので、両親も管理が難しいということで防草シートで覆いました。

だから子供を見守るように一方的に保護してあげるという感覚ではなく、何ができて何がやりにくいんだろう、と会話の中で察して、困っているようなら力を貸すというケースバイケースのスタンスで見守った方が親子の軋轢を生むこともなくいきました。例えば稲作、畑作も広い農地全ての面倒を見るのはしんどそうだったので、興味がある、妻がやってみたいと言っている、とこちらから提案をしてみたら、『それなら』という話になり田んぼは私が主導し、畑の両親のやりきれない部分を妻が主導してやるという話にすんなりいったのです。

私が主導して稲作を
妻が主導して両親のできない畑を

両親には畑で動き回って健康でいてほしいと願います。老人と言えば介護の話をよく聞きますが、意欲をもって自分の足で動き回ることは、介護の必要性がない証であり、介護予防の観点からも理想です。しかし意欲をもって動いていても、時として転倒等動けなくなる危険性もはらんでいます。橋の補修のようにさりげなく(結局無駄になっちゃいましたが(>_<))予防できればいいのですが、助けの言葉・サービスの提案をしても親子ゆえに、強がって拒絶されたりということがあります。そこでも互いを尊重できればいいのですが、時としてそうはいかない場面もでてきます。

老人の体力の衰えを知り、認識を同じくする

両親だけでなく、人の命に係わることですね。ですから、彼らの身体面・精神面を見守る機会で、本人の行動におぼつかないところがあったり、不安を訴えるようなところがあったら、同じようなケースで事故に発展したニュースを話題を持ち出しそれとなく、自身の問題として考えてもらう必要があります。我が家の場合、私がそう仕向けたのではありませんが、父は目が緑内障で運転に不安があると言い、運転免許返納に至りました。

ただ、両親にそれとなくやろうか、と言ってもやんわりと断られ、自分の力を衰えさせないようにして頑張っている姿が見られることにはあえてないようにそれ以上言わないようにして、その機会を見る度に大丈夫なのか様子を見守るようにしています。その代表的なものはゴミ出しです。幸い自宅から100m程大通りでない小道を進んだ公民館の脇にゴミの集積場所があるので、両親の住む母屋分だけのゴミの運搬なら無理な話ではないと判断してのことです。

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