自然を活かし、自分の身体を活かす、森には農地にはそんな恵みに満ち溢れていました。しかし、最近まで便利さを追求するあまりそうしたことがなおざりになる時代の潮流がありました。しかし、本年の令和の米騒動のような身近な問題として自然や農地の利用を改めて考える時期がきていることも事実です。そんなエコなライフスタイルは元々過去からミャクミャクと日本人の生活の中、心にあります。今こそ未来の世代にミャクミャクと繋げる方法を探ってみよう!と勝手な想像をし、大阪関西万博見に行きました。そこで見た、自然や農業、そして人にまつわる数々の発見をお伝えします。
竹を活かす
竹はかつては竹小舞と言って、住宅の壁の中の芯材にも使われる程、その丈夫さが利用価値のある需要の高いものでした。しかし、現代ではせいぜい筍を採る、くらいしか人々に利用されていません。これを活かし人のためになる資源として利用する取り組みが万博で見られました。

下の写真は西口ゲート(入口)から入場する前の写真ですが、入場後右側のオレンジ色のボールのような建物目印に歩いていくと、大屋根リングという回廊に続く道があります。

その道沿い写真右のような竹が日よけになったベンチがいくつかありました。これには随分長い日よけが付いています。

なんと、よく見ると竹で作られたベンチと日よけではありませんか。こういう竹の活かし方もあるんだと気づかされました。

勿論、構造を丈夫にするために、軸にはこのサイドにあるような金属を使っています。

ただ、残念だったのが、西ゲートまでの並ぶ道のりには一切の日よけスポットがなく、日傘がないとキツい状況でしたので、ここにこの竹ベンチが設置してあったら良かったのに、という点でした。

木を活かす
木がうっそうと生い茂る山です。この山はほとんどが杉の木で、管理され間伐すれば立派な材木も取れていたかもしれません。残念ながら今は荒れてイノシシが出没する山になってしまいました。

大阪関西万博の中心で各パビリオンを回っていける回廊の大屋根リングには、欧州にあるオオシュウアカマツが使われているらしいです。国産材は一部に限られているそうですが、今後の日本の山が管理されこうした建築に活かされる木材の取れる山となることを願わずにはいられません。

訪れた当日は猛暑の日でしたが、この大屋根の下で快適に歩き、休憩することができました。

農を活かす
我が家の田んぼは山際にあることもあり、日照不足になったり、ぬかるんだり、あるいはイノシシに荒らされることもありました。

こうしたことだけではない日本全体として厳しい環境にある農業ですが、そんな問題意識を皆で考えるパビリオンがありました。それが、この写真右上の黄色で囲んだパビリオン、”未来の都市”です。

この中には、これからの社会がどんな社会になって欲しいか、みんなでスマホやタブレットでアンケートをとり、そんな未来の世界のイメージ映像を見る、という趣向のものもありました。たまたまいた方々のアンケートの一番が、身近に農業がある世界(参加者中41%)、だったのがたのもしく感じました。

クボタの展示コーナーの言葉です。この言葉の通り、次の世代に農の心を引き継いでいかねばなりません。そんな気持ちでこの館に来ました。

人口減少のこれからの農業には最先端の技術も必要になってくることでしょう。

そして、そんな技術も人の農業に対する考えもミャクミャクと引き継いでいけるものでなくてはいけません。すなわち、衰退を止めるだけではなく、食べていける産業として人々が知恵を出し合う必要があるのです。

人を活かす
昨年、農作業をして足腰を痛めてしまった母です。それでも、畑で農作業をするのが心休まる生きがいと言っています。そんな魅力を無理しないで続けていくことこそ大切なことです。

そんな世の中にしていくためには、できることできないことを見極め、弱いところは思い切って捨て、強い兆しのあることは伸ばしていく工夫が必要です。

そんな強い兆しは人の心です。古い心は廃されるものではなく引継ぎ、より良い世の中にするための原動力にもなります。よしもと館では昔遊びを通じて吉本の芸人さん達が最新技術を使った遊び道具ではなく、木で作ったなつかし遊びで子供達とふれ合って遊んでくれます。

皿回しでのバトン渡しをする時には子供達が協力しあって回し続け、会場全体がその成功を願い一体感が生まれる瞬間がありました。

そんな雰囲気に心の中の勇気が芽生えたのでしょう。最初のけん玉遊びの時にはステージに登って遊ぶなんてとんでもない、と言っていた娘が、だるま落としの時には大きく手を挙げてステージに走っていきました。

芸人さんのアドバイスを受けながら、みごとパーフェクトでダルマ落としをすることができました。

まとめ
子供2人を大阪関西万博に連れていった目的の一つが、よりよい未来へと変えていくために当事者意識を持って過ごして欲しいという親のエゴです。少なくともよしもと館では、私がやるんだという思いで自分で手を挙げ、勇気をふりしぼってダルマ落としをした娘を誇らしく思います。子供の世代はそんな心で、過去の良さ、未来の良さを共に引き出して、山や農を含めた自分の周りの問題を当事者意識を持ちつつ、よりよい方向に導いて欲しい、と勝手な想像をしている自分がいました。
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